2018年2月頃から女性専用車両の問題が噴き上がっている。
男性差別だという主張に対して、「フェミニスト」を自称する女性も含めた女性専用車両賛成派の主張の一つは「こういうことを言う男は器が小さい」「男性差別ではない」と感情的にがなり立てる。
こういう感情的な「反論」そのものが、男性差別というか、「女性だから・男性だから○○で当然」というジェンダーバイアスに基づくジェンダーハラスメントである。
ツイッターでうまくまとめられているツイートを見つけた。
男性に器の大きさを求める倫理観は、必然的に女性を男性の劣位に置く力関係を導く。なぜなら、それは保護の要求であり、女性を一人前の人間として扱っていない証拠だから。— 済州島みかん🍊 (@99mina_jeju) 2018年3月1日
どうも日本人は、男女平等・女性の権利擁護とは男が女に寛容さを示す家父長制的な温情主義のことだと勘違いしている人が多い。 https://t.co/YTaIjYyxcM
全く同意である。
女性専用車両の問題に限らず、このツイート主が指摘するように「どうも日本人は、男女平等・女性の権利擁護とは男が女に寛容さを示す家父長制的な温情主義のことだと勘違いしている人が多い」と感じる。
フェミニスト気取りの女性が、男性にだけ経済力・包容力・自分が不利になったときの力での対応や身代わりでの犠牲や献身など旧来的な男性観を求め、何の矛盾も感じていないというのも珍しくない。
旧来的な家父長的温情主義をベースにしたものだから、それこそそういうしばりから抜け出した男性から見れば「都合のいいときだけど犠牲を強要するとか見下す」とか受け取られてもおかしくない。
海外的なフェミニズムは、男性が犠牲になれとか一部の女性のわがままに付き合えということではなく、女性だけでなく男性も同時に「性別のしばりで社会的に規定されることなく、自分らしく生きられる社会」を目指すという思想。
日本型のガラパゴス似非フェミニズムとは全く異なるものとなっている。
日本では結局、女性差別が温存されると同時に男性差別を生み、また自分の気に入らない相手に「差別」だとレッテルを貼って難癖をつけることで相手を社会的抹殺して私利私欲を得ようとする利己主義者の異常者だけがのさばることになる。