女性専用車両は運用上、障がいを持つなどの男性も乗車できることになっている。名目は「専用」でも、性別での排除は憲法違反になることから、鉄道会社の実際の運用としては、体の不自由な人など社会的に配慮を要する人を「優先」するという運用である。
しかし女性専用車両を「女性の特権」と勘違いした一部差別主義者によって、障がいを持つ男性が排除される事例もあるという。その手の女性が精神障害を持つ男性をいきなり怒鳴りつけたことで、男性がパニックになった様子の動画もあった。
社会的にも女性専用車両が「任意」であることを周知させるとして、任意確認乗車運動も生まれている。この運動では、たまたま乗り合わせていた女性に自分から攻撃をかけるのは厳禁とした上で、万が一「女性専用だから男性はどけ」というような声かけをしてきた乗客の女性や駅員がいると、法的根拠や鉄道会社の運用を示して説明するという。
声をかける側が穏健で、説明を聞いて「そうですか」「失礼しました」という反応なら、それで終わることではある。
しかし中には、いきなり喧嘩腰で凄んでくる女もいるという。中にはいきなり突き飛ばすなど、暴力を振るってくる異常者も。いずれも「女性だから無条件で守られて当然」「男性だから反撃してこない」とばかりに勘違いして調子に乗った差別主義思想が背後にあるとみられる。
女性専用車両反対運動では、こういう暴力的な輩は理詰めで対応するが、そういう輩は感情的になるばかりでどうしようもない場合が圧倒的に多いという。さらには凄んだ側の女が駅員や警察を呼んで自分たちに加勢させようと図る場合もある。もっとも何の根拠もないから、駅員も男性には手を出せないということになる。
2018年2月のある日、任意確認乗車をきっかけに遅延が発生したことが大きく報じられた。マスコミは「任意確認乗車の側が電車を止めた」と印象操作していたが、実際は任意確認乗車の人に絡んで暴力を振るった女のせいで電車が止まったということ。
第二波の事件
そして第二波の事件が起きた。
2018年2月24日、東京・渋谷駅前での任意確認乗車運動の街頭宣伝に際して、「カウンター」と称する連中約50人が集団で取り囲んで威圧し、宣伝を妨害する暴挙が起きた。女だけでなく、しばき隊に関与するDQN男もいた。
「カウンター」と称しても、これは本来の意味での「カウンター」ではない。本来の意味でのカウンター側は女性専用車両反対運動の方なのに、差別主義者がカウンターの隙を突いて逆襲したことを「カウンター」と称しているだけである。
理屈では勝てないから暴力的行為に訴えた、明らかな報復行動ではないかといえる。
感情的に騒げば思い通りになると勘違いしているDQN女が、理詰めで言い負かされたことに逆恨みした。そしてあることないこと言いふらし、取り巻きのDQN男を呼んで、気にくわない相手に暴力的に報復させようとした。ヤンキーの論理である。
任意確認乗車運動の人は、一見するとおとなしそうな雰囲気ではある。一方でこの手の女は「暴力上等」「女性だから無条件に守られて当然」という利己主義的で攻撃的な思考である。
相手の男性を「弱い・キモい」と見下して攻撃したが、相手が理詰めで反撃して勝ち目がなくなった。そのため、より力の強そうな取り巻きの男に加勢させた。その手の男の側も「女の前でいい格好をしたい」とか「女を甘やかすことが男女同権・フェミニズム」と時代のバカマッチョイズムの思想を持っている場合も多い。
こんなものは男女平等でも女性の権利向上でもない。時代遅れの野蛮人の論理である。
しばき隊の本性露呈
「カウンター」と称した暴力的妨害行動には、「しばき隊」メンバーも複数名参加していたという。
もっとも「しばき隊」の創始者の野間某は、女性専用車両反対運動での任意確認乗車行動には否定的なものの、街頭宣伝については差別としてカウンターをかけるべき相手・場面ではないし団体の主張の宣伝くらい自由にさせてやれと、「カウンター」には否定的な見解を示していた。
一部の過激派メンバーが噴き上がったものののように見受けられる。
しばき隊は、在特会などのレイシストが、民族差別的な行為を繰り返すことへの対抗策として発生した。
在日を振りかざして乱暴狼藉をおこなう一部個人への批判ならともかく、在日を在日というだけで悪扱いでひとくくりにしてヘイトする宣伝があまりにもひどく、普通に対抗言論をしていてもかき消される状況になったので、やむなく目に見えるような強い形で対抗する動きが生まれた。
しかしその一方で、こういう強い形での対抗は、相手の暴力的な行為を抑えるためだけに、いざという場面での必要最小限に抑えるべきである。不要な犠牲を生んではいけないし、暴力を振るうこと自体が自己目的化してもいけない。
しかし暴力を振るうこと、暴力的ともいえる示威行動をすること自体が自己目的化すると、仲間・身内のはずの人間や、全くの善意の第三者に対しても、その人物や取り巻きにとって気に入らないと見なされただけで暴力の矛先が向けられてしまうことになる。
実際に大阪では、しばき隊関係者の数名の過激派が、カウンター活動に参加していた人を敵視して集団暴行を加えた事件が明るみに出ている。
ダブスタ言動のしばき隊一部メンバー
女性専用車両の話に戻る。
女性専用車両反対運動では、在特会に対するしばき隊の位置にいたのが、任意確認乗車運動という構図になる。
痴漢対策ではなく、不特定多数の男性を一方的に痴漢認定して排除するような運用をおこなっている女性専用車両、痴漢の撲滅には何の役にも立っていない、それどころか一部の女性が女性属性を振りかざして乱暴狼藉をおこなっている状況では、公民権運動のような形での対抗言論を呼び込むのもおかしくはない。
しかし、しばき隊過激派は、在日問題と女性専用車両では180度態度を変えているダブスタに陥っている。嫌っているはずの在特会と全く同じことをしている。
この理由は何か。2つ考えられる。
ひとつは、差別解消などの社会正義などはどうでもよく、自分にとって気に入らない相手を攻撃したいだけという個人的な欲求。暴力的に暴れれば思い通りになるというバカマッチョイズムもセットである。
もうひとつは、特定の属性(在日や女性)を「絶対的弱者属性・被差別属性」と一面的に認定し、乱暴狼藉や非道行為をおこなった個人への批判でも、個別の事実経過を無視して、たまたまその個人がその「弱者・被差別属性」を持っているからといって、「属性全体への差別」とすり替え、差別だ・相手はその属性全体を攻撃する差別主義者だとすり替えて騒ぐ、単細胞的な差別理論。意図しているかどうかは不明だが、解同朝田理論と同じ構図のものである。
実際は女性専用車両で暴れる女性の方が弱い者いじめをしているのに、こういう連中の手にかかれば、逆にキモい男がか弱い女性に弱い者いじめをしているとゆがんだ状態に映り、だから暴力的に鎮圧するというとんでもない発想になるのだろう。
これから必要な動き
任意確認乗車運動という手段への賛否はともあれ、女性専用車両の具体的運用については、考え直す時期に来ているのではないか。
おかしいと思っていても、面倒ごとに絡まれたくないと思うのは、人間の心理としてわからなくもない。しかし差別や不公正な行為をする側は、黙っていたら「自分たちの差別や不公正が容認された」とねじ曲げて、余計に調子に乗って差別や不公正な行為を繰り返す。
誰かがどこかで声を上げなければ変わらない。手法には賛否はあっても、任意確認乗車運動という形で先頭に立って声を上げてくれた人がいるというだけで応援する。本来は冷静に議論されるべきものである。
しかし、感情的に騒ぐことしかできない女性専用車両賛成派に加えて、おかしな暴力的なものの参入で、問題の論点がぐだぐだにされることが危惧されるものである。