社会活動家がツイッターで別の社会活動家を中傷
1つめは、左派と目される社会活動家同士のツイッター上の論争。
片方は、保育運動に携わるK(男性)。もう一方は女子高生の貧困とかそういう活動に携わるN(女性)。ともにネット界ではそれなりに有名な存在。
KとNが児童虐待問題に対してそれぞれ意見を開陳していた。そこまではいい。
しかしNは、Kの意見が感情的によほど気に入らなかったのか、Kの書き込みの揚げ足を取って突然「マンスプレイニング」と罵倒した。
Kは困惑して「私が男性だということが何か関係ありますか?それこそ性差別(男性差別)ではないか?」とNに苦情を出した。
しかしNは感情的になり、またNに同調する自称「フェミニスト」も多数加勢して、Kに人格攻撃的な集中砲火を浴びせた。
Nは過去に「オタク差別」と受け取れる主張をおこなったり、学生時代にはいじめ加害者の首謀者格だったとする告発がされるなど、あまりよくない噂を聞く人物ではある。よくない噂は本当かもしれないと思わせるのには十分な言動。
問題になったKの書き込みも読んだが、別に「マンスプレイニング」には該当しないと感じた。
自称「フェミニスト」どもは、「マンスプレイニング」を指摘されたKが逆ギレしたと描いていたが、そもそも「マンスプレイニング」そのものが存在しない。Kにとっては、身に覚えのない事実無根の言いがかり・レッテル貼りをされたうえ、お前は差別者だと決めつけられても困惑するだけであろう。
逆ギレしているのは、事実無根の言いがかりをつけておきながら、根拠がないとたしなめられたことに逆上して人格攻撃を加えたNや、取り巻きの似非フェミミサンドリーどもではないか。これこそ男性差別である。
ツイッターの時数制限の関係ではしょった表現になることはあっても、Kが男性だからといって女性に対する悪意をもっているとは読み取れず、Nの言いがかりとしか思えないものである。
むしろNやその同調者こそが、「自分たちにとって気に入らない指摘を受けた場合、たまたま自分が女性で相手が男性だから、個別の内容を吟味せずに、気に入らない相手に人格攻撃して黙らせるために、女性差別だと短絡的に結びつけて、まるで相手が女性差別をしているかのように捏造して脅せば思い通りになる」とばかりの、ミサンドリーだとしか感じない。
こんなの、フェミニズムの風上にも置けない。似非である。
イクメン敵視の自称「フェミニスト」
もう一つ、子育て中の男性からの投稿。「男性トイレにおむつ台がないことに『そういう社会にした男性が悪い』と文句を言ってきた人がいる。そういうのはどうか。自分たちはそういうのを変えるために頑張っている」。
この投稿自体はまっとうである。
この投稿が指摘しているそのものズバリの元ネタは探しきれなかったが、それに近い言いがかり・差別的なツイートを見つけてうんざり。
フェミニスト気取りのミサンドリーが、「イクメン・育児に参画する男性は、自分が男性だからというだけでちやほやされたいだけ。ミソジニー丸出し」と中傷する趣旨。
あまりにもひどい。卑劣極まりない。というか、自分が「女性というだけでちやほやされたいミサンドリー」だから、そのまま「自分たちにとって不都合な存在の男性」に投影しているとしか思えない。
自称「フェミニスト」・ミサンドリーは、自分たちが一番女性性のジェンダーに固執しているという印象を、かねてから感じている。
保育や看護などに携わる男性や、育児や家事に参画する男性を一番馬鹿にしているのが、自称「フェミニスト」である。
先に書いた社会運動家同士のツイッター炎上でも、背後には保育に携わる男性への、自称「フェミニスト」からの偏見がある。
以前には、「男性保育士は、保育所での女児のおむつ替えから外せ」という保護者の声が相次いだが、男性というだけで一律に業務から外されるのはおかしいという千葉市長のツイートに対して、自称「フェミニスト」のツイフェミミサンドリーがそろって総攻撃をかけていた。
また「栄養士志望だが、家庭の事情で自宅から通える国公立大学しか進学の選択肢がない。その選択肢に合うのが女子大で、男性というだけで受験できないのは性差別」と訴えた訴訟では、自称「フェミニスト」が原告を誹謗中傷する例も目立っていた。
それは結局、男性は奴隷のようにお金だけ持ってこい、都合のいいときは自分たちを守れという、女尊男卑思想でしかない。形を変えた旧来的な封建思想・性別役割思想・ジェンダーロールの亜流や強化にすぎず、本来の意味でのフェミニズムではない。
また「男を攻撃する」ということ自体が自己目的化した偽装「フェミニスト」にとっては、「家事や育児をしない男」というイメージなど、自分たちにとって都合がいい前提を覆すような進歩的な男性の存在が都合が悪く、憎むべき存在になっているのだろう。