女性専用車両をめぐる騒ぎ

2018年2月18日

女性専用車両

t f B! P L
東京メトロで2018年2月16日、女性専用車両に乗り込んだ男性がトラブルになり、電車を遅らせる騒ぎになったと報じられた。



当日の経過


新聞報道では、男性が騒ぎを起こしたかのような印象を受ける形で書かれているものが多いがが、実際は少し違う様子。

女性専用車両は字義通りの女性「専用」ではなく、女性に加えて男児や体の不自由な男性も優先される「優先座席」などと同じ意味合いで運用されている。性別で乗車制限をかけるのは憲法違反になることから、鉄道会社に問い合わせても、そのことは否定できず、あくまでも「乗客の皆様に協力をお願いしているだけ」という公式回答をもらっている。

女性専用車両は「痴漢対策」を口実にしているが、それでは不特定多数の男性はすべて痴漢かのような、男性差別的扱いになっている。痴漢は撲滅すべきで実効ある対策をとるべきだが、それは不特定多数の男性を差別して敵視することではなく、別の方法で行うべき。

――そういう主張をおこない、鉄道会社の対応はおかしいと、抗議運動の団体も生まれている。

その団体関係者が、女性専用ではなく任意確認として乗車していたときにトラブルが起きた。

団体関係者は、乗り合わせただけの女性を敵視しているわけではない・悪いのは鉄道会社のシステムだとして、乗り合わせた女性に自分たちから攻撃や論戦をかけるのは厳禁事項としている。乗り合わせた女性や駅係員から「女性専用車両です」と注意された場合には 「女性専用車両は専用ではなく任意です」と事実関係を説明する活動をおこなっているという。

中には、鉄道会社の中途半端な運用によって、女性「専用」の「特権」と勘違いし、男性を執拗に攻撃する差別主義的な女性もいる。

また女性専用車両の文脈に限らず、社会のあらゆる場面で、男性相手だと「自分は女性だから何をしても無条件で許される」とばかりに見下して、どんな暴力や挑発的行動をしても相手から反撃されないとばかりに差別的な言動をとる卑劣な女性も目立つ。

この日は、そういう執拗な女性に一方的に絡まれて暴言を吐かれて凄まれ、事実を説明しても相手は感情的になるばかりで、挙げ句の果てにはその女性がその男性に暴力を振るったという。そのために電車が止まったという経過。

責任転嫁はいただけない


女性専用車両を支持する側からは、その経過を踏まえてもなお、差別主義的な男性が騒ぎを起こしたと事実関係を正反対にすり替える論調も見受けられる。

ひどいのになると、男性を「もてない男のキモい行動」などと感情的な人格攻撃するような論調も見受けられる。論理では説明できずに感情論に走ること自体が、しれているというべきである。

しかしそもそも、女性専用車両は、戦前の「女性は弱者・無能力者だから、無条件に庇護すべし」という封建主義的発想で生まれた歴史がある。元は女性差別の発想で導入されたということになる。関連の条文が現在でも生きているというが、日本国憲法第14条の規定と矛盾し、死文化しているものである。戦後しばらくは、女性専用車両は途絶えていた。

現代風に蘇ったときに「痴漢対策」の口実をつけたが、男性はみんな痴漢かのように扱うことで、女性差別だけではなく男性差別の要素も加わったことにもなる。

男性相手でも女性相手でも、性別による差別そのものが許されないことである。海外では女性専用車両は「性別による隔離は、性差別で考えられないもの」「痴漢が悪いのに、無関係な男性に不利益を与えるのはいけないもの」と扱われている。

日本ではフェミニスト気取りの者が、女性専用車両は自分たちが勝ち取った権利かのように勘違いして振りかざしているのも、滑稽だということになる。いや、滑稽だとは笑っていられない。その似非フェミニスト個人が自滅するだけなら別によくても、不特定多数の女性全体の権利を縮小し巻き添えにすることになるのは、看過できない。

何かに似ていると思ったら


女性専用車をめぐる構図は何かに似ている。

在特会としばき隊との関係とそっくりではないか。

在日=被差別属性を振りかざして乱暴狼藉をする者がいる。それに対して乱暴狼藉をする不届き者ではなく、「在日特権」とありもしないものをでっちあげて「在日」属性全体をひとくくりにして差別し、普通に生活しているだけの在日の人を見せしめで攻撃する在特会・レイシスト。さらにその活動にカウンター行動をかけるしばき隊。

痴漢をする不届き者がいる。それに対して、痴漢をする不届き者ではなく、「男性はみんな痴漢」とありもしないことをでっちあげて男性全体をひとくくりにして差別し、痴漢などとは全く無縁の男性を見せしめで攻撃する発想の女性専用車両。さらにそれにカウンター行動をかける任意乗車確認運動。

在特会と「女性専用車両を自分たちの権利と勘違いした一部女性」の双方ともに共通するのは、
  1. 「自分にとって気に入らない○○属性を持つ人物はみんな犯罪者」かのような、あまりにも突拍子もない差別的妄想を掲げた者がでた。
  2. そんな主張は本来ならば相手にするのもバカバカしく、放っておいてもいずれは誰からも相手にされずに自滅すると見なして放置していた。
  3. しかしその集団妄想を信じる者が増え、しかもその妄想を元に過激な行動に出る者も出て被害が無視できないことになった。
  4. 普通に抗議してもその集団妄想の前には正論がかき消される形になるので、やむなく「過激」と批判されるような形での目に見えるようなカウンター行動に出た。
――ということではないか。

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