差別の構造、「被差別者」が差別することなんてよくある

2020年7月19日

差別

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差別された黒人に差別された私がいま思うこと」という論考が目にとまった。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74024


筆者は日本人の女性で、幼少期アメリカで暮らしていた。黒人差別も見てきたが、自身が日本人として日本人・アジア人差別も度々受けた。アメリカで自分が人種差別を受けたとき、加害者は黒人の場合が多かった。

また筆者の知人から聞いた話として、その知人は日本から渡米したときに人種差別を受けたが、加害者は白人よりもアジア系アメリカ人が多かったとのこと。

これらの経験から、差別の被害者だからといってもほかの属性への差別をすることもある、自らの差別意識にも気づけないこともある、だから自問を続けていく必要があるということを論じている。

この論考での視点は、常に考えていかなければならないもの。

アメリカでの人種差別の問題だけでなく、日本でも同様のことが横行している。決して他人事ではない。

部落解放同盟を名乗って同和地区への差別をなくすと自称しているいわゆる「エセ同和」。

実際は自分たちが「部落・同和地区」認定している地域以外の地域差別や、同和地区といわれた地域に居住していた住民でも自分たちの言いなりにならない相手への思想差別などを繰り返し、暴力行為も繰り返していた。

そういうという苦い歴史もあった。

また「フェミニスト」を自称しているものについても同じような現象が。

自称『フェミ」が、男性差別・女性差別の両方の意味での性差別上等という振る舞いもよくある。

結局は「女だから弱者扱いでちやほやされて当然」という前近代的な思考を、

「自分をちやほやしない男性には女性差別のレッテルを貼って恫喝して社会的抹殺し、周囲の男性を萎縮させて従わせようとする」
「女性に対しても、自分の意に沿わない相手には名誉男性的な扱いで同等の攻撃を加える」

と都合よく言い換えただけ。

そしてそれは「古い家父長制パターナリズムの焼き直しと、恫喝での押しつけ」だったということになる。こういうこともよくある、。

ほかにも自称「被差別」「反差別」が、平気で別の属性への差別をおこなうことなどよくある。

こういう「被差別・反差別無罪」「被差別・反差別の立場を振りかざせば、自分たちはほかの人間を差別してもいい」的な間違った差別主義を克服することが、本当の意味での差別解消の第一歩ではないか。

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